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○ 「雲錦」の故郷 南京
中国江蘇省の大都市南京は、その穏やかで安定した気候と江南水郷の豊かな恵の下、古
くから養蚕が盛んであったことや、南北朝時代(420-589年)に北方から多くの優
れた絹織り職人が移住して来たことなどが、この地に雲錦を誕生させ、育んできた大きな
基礎となっています。更に雲錦は、元(1279-1367年)、明(1368-166
1年)、清(1662-1911年)と三代に渡って皇室の御用達品とされ、皇帝の召さ
れる龍袍(皇帝専用の龍の刺繍のはいった長衣)をはじめ、皇帝の玉座、冠、また皇后の
衣装に至るまで全て雲錦で製作していました。そのためこの地に官の辧織局(皇室の衣類
などを製造、管理する機関)が設けられ、雲錦の製作・開発に対して、膨大な資金と労力
が惜しみなく投入され続け、色彩の艶やかさ、織り込みの技巧なども絶え間なく改善され
ていきました。また、製作される図案のテーマやデザインは豪華さを極めながらも、吉祥
慶事の意図の込められた重厚なものになっていきました。こうして、雲錦は他の追随を許
さないところまで向上していったのです。
特に清代の「江寧織造局」が置かれた頃には、南京城下一帯にはおよそ30万人の人々が
雲錦で生計を立てていて、南京で最大の手工業となっていました。とりわけこの織造局で
の生活を題材にした中国四大名著にも上げられる「紅楼夢」
の著者 曹 雪芹の曽祖父、祖父、父親ともにこの「江寧織
造局」を主管し、“雲錦の名家”と称えられていたことは
よく知られており、曹 雪芹は「紅楼夢」の中でその独特の
筆鋒で、雲錦のきらびやかで気品に満ちた様を生き生きと
表現し、人々にその魅力を余すところなく伝えてくれます。
このように、中国雲錦は錦織りとしての美しさが群を抜
いているだけではなく、その背景にも皇帝政治などの歴史
や慶事文化と深い係わり合いを持つ歴史的な伝統工芸品で
あることから、2001年に、中国政府によってユネスコ
の「世界無形文化遺産」への登録リストに選出され、現在
申請しております。
「中国雲錦」の特徴に続く
○ 中国が世界に誇る伝統工芸品
「中国雲錦」とは、中国の錦織り工芸史上、長い時
間と各民族の叡智を結集して作り上げられた、中国が世
界に誇ることの出来る最高峰の伝統錦織り工芸です。そ
の独特の織り方やデザインの精巧さ、テーマの深さ、艶
やかにして繊細な色使い、そのどれもが、中国各地、各
民族の伝統文化や技術の優れた点を取り入れ、何代にも
渡って継承され発展してきた、言わば中華民族が世代を
越え共同で生み出した究極の芸術品なのです。
○ 中国の錦織り工芸の歴史
1926年、中国山西省の新石器時代の遺跡から刃物で半分にカットされた蚕の繭が発
見されたことによって、5000年前からすでに養蚕が行われていたことが明らかになり
ました。また、1958年には、浙江省で4700年前の、絹糸を使った織物をはじめ、
およそ3000年前に作られたと見られる模様のある絹織り物などが出土しており、中国
大陸において古くから絹織りの技術が発達していたことを証明しています。
その後、中国の古代に編纂された歴史書などによると、錦織りは、春秋戦国時代(紀元
前770~222年)頃には、主に“中原地区”(黄河中流・下流の地域)にて作られる
ようになったと記されています。
更に、隋・唐・五代・宋(581~1279年)にかけて、錦織り工芸がどんどん盛ん
になっていく様子が、《新唐書・地理誌》や《唐六典》、《通典》などの史書にも詳細に
記録されています。
そして、宋の時代の後、南京の「雲錦」が中国トップクラスの錦織り工芸品として君臨
し始めていくのです。

写真は上海豫園で雲錦の展示会風

「紅楼夢」の著者 曹 雪芹

そう せい し きょく
曹 世 織 局
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